特別寄稿 柳家喜多八師匠に捧ぐ-噺家の美学-

○特別寄稿 柳家喜多八師匠に捧ぐ-噺家の美学-
_____「いのちの落語独演会」主宰  樋口強
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喜多八さんと出会ったのが今から35年前。
まだ二つ目で「小八さん」と名乗っていた頃だ。
社会人落語の会で楽屋にフラッと顔を出して、私の出番の前に一言、
「聞かせてもらいます」
礼儀正しい人だった。
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2001年、私が生きるはずがないというがんに出会って5年が経ったとき、
「がんの仲間を招待して落語会をやりたい」と喜多八さんに話したら、
「アタシも(その高座に)上がらせてよ」
と、特別出演を買って出てくれた。
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会場は上野広小路亭。
ここは落語芸術協会が定席として開業した場所で上野鈴本とは目と鼻の先。
落語協会の噺家さんが出演してはいけない高座である。(喜多八さんは落語協会所属)
「気にしなくていいんですよ。アタシでお役に立つんなら」
初回から13年間、毎年しびれるような迫真の高座であった。
博品館(毎回切符が取れないことで有名な喜多八独演会)でも見せたことのない落語の楽しさとすごさを、全国から集うがんの人たちに教えてくれた。
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そして、2012年の高座でこう切り出した。
「アタシもね、この度、皆さんのお仲間に加えていただくことになりまして・・・」
会場から拍手が起こった。
喜多八さんがあとになって述懐する。
「がんを告白して拍手されるのはこの会だけだよ。けど温かいね」
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一年に一度、東京深川に集う全国のがんの仲間たちが、喜多八さんの至芸に酔いしれ大笑いした。
喜多八さんがこの高座に掛けた噺の数は18席。
初回が『小言念仏』。そして、『粗忽の釘』、『やかんなめ』など大爆笑の得意ネタが続き、『明烏』、『船徳』と絶品芸がかかる。
そして、2013年。この会を卒業する最後のネタに選んだのは、とっておき『鰻の幇間(たいこ)』であった。
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会場のがんの仲間たちは、「笑うと元気になれる」と、その高座から生きる希望と勇気をいただいた。
しかし、2013年の春、新幹線で移動中の私の携帯に喜多八さんから電話が入った。
「今年で終わりにさせてほしい」
「わかりました」
多くの会話は必要なかった。
喜多八さんは病気のつらさや苦しさを決して高座には出さなかった。
噺家としての美学を貫き通した人であった。
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その柳家喜多八師匠が育ててくれた落語会が、今年も9月に全国からがんの仲間が駆けつけて、東京深川で16回目を迎える。
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柳家喜多八師匠のご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

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特別寄稿 柳家喜多八師匠に捧ぐ-噺家の美学-」への3件のフィードバック

  1. 樋口さんと喜多八さんの互いを尊敬し合う長い歴史を垣間見、喜多八さんという稀有な落語家さんを、失なってしまったことが、取り返しのつかないことのようにますます思います。 生意気な言い方ですが、喜多八さんは、そんな体調の中ぎりぎりまで人を笑わせてくださって、虚弱体質を押し通し、次の独演会の予定まで立て、皆を合わせる機会とされた喜多八さんの粋なはからいに、美しい心を感じました。私にはそんな力はありませんが、素晴らしいお手本です。樋口さんこそお辛い時に
    大切な思い出を分けてくださってありがとうございました。 本当に寂しいです。

  2. 訃報に接し・・・、寂しくてなりません。
    素敵な癌仲間、当方と同時代・同地区に生まれ、大きく変動してきた日本国の社会環境の中、大学の落研から伝統芸術へと前進して、他の落語家の方でもまねの出来ない粋な話道を切り拓いてこられた方が癌で亡くなられてしまうなんて・・・、何ともやりきれないです。
    先日、名古屋の高座で満場をわかせていらしたと聞いたばかりだったのに・・・。
    喜多八師匠の「いのちの落語」にかけた心意気をいつまでも忘れずに、これからも一生懸命生かさせていただきたく、術後年数で樋口さんの素晴らしいサバイバー記録を追いかけるスキルス胃癌経験者です。
    師匠を樋口さんの高座へ毎年送り出していただいた美子様へも感謝でいっぱいです。
    今はお礼とご冥福をお祈りすることしか出来ません。
    合掌

    • 「元気印の患者」さま

      あふれる想いを寄せて頂きありがとうございました。
      本当に、残念でたまりません。
      在りし日の喜多八師匠の高座でのお姿を偲びつつ
      ご一緒にご冥福をお祈りさせていただきます。

      樋口強 いのちの落語公式サイト管理スタッフ(川)

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